バケモノスタッフブログ

あさくら
2018年12月31日
カルチャー 音楽

とあるバケモノスタッフによる、おすすめクラシック曲を紹介する記事
~全く曲と関係のない どうでもいい個人的コメントを添えて~

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4人目 タチバナチョイス曲

tachibana

Mr.タチバナ
バケモノの良心的存在。普段は穏やかだが、たまに爆弾を投げ込んでくる。
実はこの『今日の1曲』には幻の60曲目があったのだが、この記事を書くにあたっての選曲で、まさかの60曲目をチョイスした猛者(この記事には載せてません)。

ポロネーズ第6番『英雄』(英雄ポロネーズ)

by フレデリック・ショパン

不穏な始まりかな? と思ったら、華々しくイケメン英雄が颯爽と登場して民衆すべての視線をかっさらっていくかのような曲。
ポロネーズなのかポロネーゼなのがボロネーズなのかボロネーゼなのか、慣れるまでは良く分からなかった。私はナスのボロネーゼが好き。
そんな話はさておき、この曲の他にも2つショパンの有名なポロネーズが存在している(軍隊ポロネーズ、幻想ポロネーズ)。
その中でも1番力強く華やかな英雄ポロネーズが私は1番好き。
もっと言うと、英雄ポロネーズというよりも、「ポロネーズ『英雄』」と表記されている方がもっと好き。
必殺技のようでカッコいい。

必殺技といえば必殺技開発は誰しもが通る道だと思う。
小学生の頃は「スーパー・ウルトラなんちゃらキック!」などという「超越」的意味を並べまくった必殺技。
中学以降になるとあまり「超越」的単語を使用しなくなり、代わりに連想ゲーム的単語を並べ始める(死→黒とか、熱→太陽など)。
それがさらに進むと、複雑だった必殺技名はシンプルなものへと姿を変え始める。
シンプル・イズ・ベストが格好良く強そうだということに気づくのだ。
この曲、ポロネーズ「英雄」なんかはまさにそうで、シンプルながらもクールな響きが感じられて厨二心がうはうはくすぐられる。
ちなみに、私の中の最高・オブ・クラシック曲名必殺技は「メサイア(ヘンデル作)」である。
メサイア、救世主。ストレートなネーミングでありながらも、絶大なる威力を誇るであろうことが易々と想像できる光属性の最終奥義。
闇は全てを飲み込むが、光は全てを吹き飛ばす。
そんな厨二的なキャラの決めセリフが浮かんでくるようだ……。

5人目 テラノチョイス曲

terano

Ms.テラノ
バケモノ社員の華。Mr.アワタに触発されて、現在、絶賛口笛を練習中。まだ曲を吹くに至らず。
夢は「とあるバケモノスタッフ」と口笛セッションをすることである。道のりは遠そうだ。

愛の夢 第3番

by フランツ・リスト

温かくふかふかな毛布に包まれながら、お母さんに子守歌を歌ってもらいながらポンポンしてもらって、ずるずると緩やかに滑り落ちるように夢へと誘われるような情景が浮かぶ曲。
かと思いきや、お母さんが子守歌に熱を入れ過ぎてミュージカルにまで盛り上がり、ひとしきり満足するとまた穏やかな子守歌に戻っていく様子が想像に浮かぶ。
お母さんが最高潮に盛り上がっているその時、眠り人の夢の中では壮大なストーリーが展開されていそうである。

夢と言えば、夢は記憶の整理だから人間は死ぬ直前で目が覚める夢はみても、自分が死ぬ夢は見ない(その記憶・体験がないから)と聞く。
が、私は自分が死ぬ夢を2回見たことがある。
…といっても、最終的には死んではいなかったのだけども。

1回目の私の死因は、地球に侵略してきたUFOによる無差別殺人だった。
気づけば私の頭上にどでかいUFOが浮かんでおり、UFOが眩い光を放ったかと思ったら、次の瞬間私は現実から離れて真っ黒な死の空間に1人立っていた。
自分の死ははっきりと認識していた。
私はひたすら自分の死を自覚する作業を義務のように繰り返し、「これが死というものなら死にたくないな…」と思いつつもどうしようもないでいた。
すると、唐突に私に話しかけてくる声が現れた。
声は私に「生き返りたいか?」と問いかけた。
当然私は生き返られるものなら生き返りたいと思ったが、声はさらに続けた。
「生き返ることを選ぶのなら、条件がある」。
その条件とは、蘇った後私は地球侵略最中の宇宙人達と戦わなければならず、宇宙人に捕まりどれだけむごい拷問を受けようとも決して屈してはならない、という条件だった。
私は非常に困った。
このまま死んだままでいるか、死よりもつらい使命を背負ってでも生を選ぶのか、究極の選択を迫られていた。
結局私がどちらを選んだかと言うと、私が生か死かを選ぶ前に、場面が切り替わり話は急展開を迎えることに。
場面が死後の空間からDVDレンタルショップに変わると、私は頭に装着していた機械を取り外し、そのまま「楽しかったなー」なんて思いながらのんきに帰宅。
実は先ほどまでの物語は全てDVD内でのできごとで、特別な機械を使ってDVDの内容を仮想現実で体験していたに過ぎなかったのだ。
つまり、私の壮大な死のストーリーはお話の中の仮想体験であって、現実の私は死んではいないのである。

2回目の死因は、マッドサイエンティストによる人体実験だった。
病院か事故かで運ばれた病院での手術ミスという体で私は殺された。
が、生きていた。否、蘇った。
私はマッドサイエンティストによって殺された後、改造され、不死身の体として再び目を覚ましたのだ。
私は自分が生き帰ったことに喜び、すぐさま自分の死に悲しんでいるであろう家族(といっても夢の中だけの見知らぬ家族)に私が生きていることを教えようと思った。
しかし、それは叶わなかった。
私が不死身者として存在している事実を、マッドサイエンティストが所属する組織以外に漏らしてはならないと命じられた。
私は組織の秘密戦闘員として誰にも知られず暗躍するしかなく、不死身であるため、容赦なく駆り出された。
時には敵にふくらはぎをザックリ切られ中身がパッカリ…という傷を負うこともあった。
不死者であるためか、痛覚はなく、ただただ切られて中の筋肉が外気にさらされているという感覚があるだけだった。
戦いの中で致命傷となるような大きな傷を負っても平気で動ける自分の体に、そこで初めて自分は不死の身になったのだと実感した。
その事実に私は不思議と抵抗感は感じず、すっと落ちるように納得した。
そして私はひとり孤独で悲愴な戦いの日々を送るのだった…。

という、2つともなかなか壮大なストーリーの死の夢をみたことがある。
今文章にして読み返すと、どちらもろくな死に方をしていなくて嫌だ。

6人目 アサクラチョイス曲

asakura

Ms.アサクラ
この記事のタイトルにある「とあるバケモノスタッフ」とは、私のことである。
気になることがあるとすぐに「なんで?なんで?」攻撃をして大人を困らせる5歳児。

トランペット吹きの休日

by ルロイ・アンダーソン

クラシック…かどうかは分からないが、この曲の作者ルロイ・アンダーソンは私が好きな作曲家ランキング殿堂入りの人物である。
オーケストラというと高尚でドレスコード指定、ジーンズパンツ出禁みたいな印象を持つ人もいるだろうが、ルロイ・アンダーソンの曲はとてもカジュアルでコミカルで軽やか。
ジーンズ万歳、スニーカー最高、ハイヒールを履きなれない私にとって気楽に楽しめる曲である。
子どもを音楽コンサートに連れていきたい、でもクラシックオーケストラはちょっとレベルが……と尻込みしている親御さんにはぜひともおススメしたい。

この曲、「トランペット吹きの休日」と題されているが、聞いてみればお察しの通り、絶対に休日とは思えないほどの半端ない忙しさである。
そのため「休日返上」「休日出勤」「過労」と揶揄されることもあるよう(考えることは皆同じだ)。
その揶揄3言葉を聞くと現代の日本社会かな? と思うのだが、しかしこのトランペット吹きの休日返上が日本の社畜と決定的に違うのは、トランペット吹きの休日返上はとても生き生きとポジティブな感情に溢れている点だ。
彼らトランペット吹きの人生は希望に満ちている。
「休日返上」などとうまい切り返しをしたい気持ちはとてもよく分かるのだが、私には「休日返上」がこの曲にピッタリの言葉だとは思えない。

例えばの話をする。例えば、Twitterで神絵師が「落書き」と言って投稿した絵がめちゃくちゃ上手かったとする。
即1万超えRT&ふぁぼ、当然リプライには「落書きじゃない」という言葉が殺到する。
しかし我々の思考回路は甘かった。
後日、神絵師が落書きではない本気絵を投稿し、フォロワーの度肝を抜いてしまうのだ。そして我々フォロワーは悟る。
「このド級の神絵に比べたら…確かに先日の絵は”落書き”だった……」と。
……つまり何を言いたいかというと、「トランペット吹きの休日」はいわば神々の戯れ。
神は休日にいたずらにトランペットを吹いても、神だから遊びレベルも神なのだ。
神による神々の休日の遊び。
我々には到底理解できない次元の休日を表したのが、この曲である。

組曲『展覧会の絵』より バーバ・ヤーガの小屋~キエフの大門

by モデスト・ムソルグスキー

THE・私的ベストオブカッコいい曲ランキング、堂々の殿堂入り、バーバ・ヤーガの小屋。
初めてこの曲を聞いた時、私はとんでもなく衝撃を受けた。
なんなんだこのラスボス感にじみ出る迫力は!と興奮し、ゲームポケモン「ダイヤモンド・パール」の伝説のポケモンとの戦闘イメージが頭の中を駆け抜けていった(曲の雰囲気がなんとな~く似ている)。
圧倒的迫力。悲しみと殺伐と絶望を感じさせるだけがラスボスではないのだ。
決して悲惨でおぞましい姿で相手を威嚇しない。華やかさを持ちつつも、気配が絶対無二の強者であるとビシバシ肌に伝わってくる感じ。
……やばい。ちょっと妄想たぎってヨダレでそう。

バーバ・ヤーガとはスラブ民話に登場する妖婆。
魔女とか山姥とかそういう立ち位置の存在で、鶏の足の上に建つ小屋に住んでいるらしい。
庭や屋内に人間の骸骨が飾られているとか普段は寝そべって暮らしているとか移動方法はどうとか、なんかたくさん悪魔らしい属性を持っているが、つまりはこの紹介文の流れにおいてバーバ・ヤーガはラスボスである。
……あれ、イケメンセクシーラスボス想像してたのにな。おかしいな。

そして曲はラスボス戦からの、ナニコレ珍百景ことキエフの大門へと展開する。
これまた懐かしい番組名だ。
私もテレビを見ながら、自分の周りにも珍百景がないだろうかと思いを馳せたことがある。主に賞金のためだった。
しかし珍百景というほどの景色は見つからず、唯一いい感じな雰囲気だった景色は、高校の通学路中にあるちょっと大き目な用水路ぐらいだった。
若干緑がかった水がとめどなく流れていく用水路の中には線路の一部が沈んでおり、その上を真っ赤な金魚が泳いでいるという風景だったのだが、そういうファンタジーあるあるな風景に私は興奮した。
珍百景ほどの珍はないが、ただの変哲もない日常生活内にも目を凝らせば素敵なものは存在しているのだということを学んだ。
目に見えて差異があるものほど人は尊重したり感動したりするが、ささやかな変化の中にもかけがえのないものはたくさんある。
私はそういった小さなものを大切に胸に抱えて生きていくような、穏やかなおばあちゃんになりたい。
そしてゆくゆくは森で暮らし、個性的な一軒家を持ち、不届きものな侵入者はその身を削いで庭や玄関に飾り、だらだら寝そべって悠々自適な生活を送る老婆に……。

タイプライター

by ルロイ・アンダーソン

今日の1曲、第59曲目。この企画の最後の曲となる。
本当はキリよく60曲いきたかったのだが、忙しさの前に私は敗れたのだった……。
そんなゴールを目前にして息絶えた59曲目の曲は、ルロイ・アンダーソン作「タイプライター」。
いつからか、今日の1曲の最後は私の好きなこの曲で締めくくろうと思っていた。

タイプライターというタイトル通り、この曲はタイプライターが楽器として登場する。
タイプライターのカタカタカタカタチンッ♪という小気味良い音がコミカルで、その演奏姿は見る者の思わずといった笑顔を誘う。
なんともカジュアルで遊び心のある曲だ。
この曲は、仕事に追われ、忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写されているが、日本の社畜とは大違いである。
以前同アンダーソン作の「トランペット吹きの休日」でも記述したが、彼の忙しさには笑いがある。
日本の社畜にはない。
日本の社畜風景を描写した音楽があるとしたら、それはショパンの葬送行進曲のような雰囲気か、心肺停止状態の心電図音(ピーという単調な音)だろう。
グノーの作曲する曲の中に「操り人形の葬送行進曲」という社畜にはピッタリなタイトルの曲があるが、これはコミカルな雰囲気なので除外。

クラシックやオーケストラといえば、弦楽器やら管楽器やら……何かしら楽器と名の付く楽器しか使用されていないイメージがある人も多いと思う。
が、チャイコフスキー作の「1812年」では大砲を使用されていたり、他にも演奏としてティンパニーに頭を突っ込む演出が指示されていたり、堅苦しいイメージを覆すトンデモな曲も中には存在している。
音を楽しむと書いて音楽とは、まさにこういうことなのだと思っている。

今曲の「タイプライター」のみならず、これまで紹介した曲たちはバラエティー番組のBGMとしてもちょくちょく耳にすることがある曲なので、今度テレビで流れた時には「おっ!この曲は……!」と気づいてもらえたら、今日の1曲冥利に尽きる。

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