徒然書評

『すべてがFになる』:森 博嗣

このエントリーをはてなブックマークに追加RSSフィード follow us in feedly

こんにちは。徒然書評へようこそ。
ライターのTKです。

本寄稿も第三回となります。

自分の好きなジャンルばかりを紹介していると、やはり偏ってしまいますが、懲りずに新たな作品を紹介していきます。

この作品の作者は、カタカナで表現される言葉の最後の文字が伸ばされる音のときに、これを伸ばさずに、次のように表現します。

たとえば、ミステリーではなく“ミステリィ”というように。

紹介する作品は、こちらです。

『すべてがFになる』:森 博嗣

すべてがFになる (講談社文庫)
すべてがFになる 著者:森博嗣 出版社:講談社

2014年には連続ドラマも放送され、再び人気に火がついているようですので、本屋さんではすぐに見つけることができるでしょう。手元に当作品があるので、あらすじを紹介します。

「孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウェディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。」

上記は裏表紙からの引用です。

クローズドサークル、つまり外界から隔離された状況。不可思議な変死体。そして、完全無欠の密室殺人。

これ以上ないくらいミステリィを最前面に押し出したキーワードをちりばめて描かれた本格ミステリィです。作品が完全にシリアスなので、先ごろ紹介した東川篤哉氏のユーモア・ミステリとは対照的に、紹介文もシリアス一辺倒で、笑いの欠片も起こりません。

まず、本作で注目すべき点はその登場人物にあります。

本作の主人公、犀川助教授は建築学を専門とする一種の天才。本人は、“自分は凡人”と主張しますが、彼が本シリーズの探偵役を務めます。

そして本作のヒロイン・西之園萌絵は、同じ大学の学部生です。本作ではワトソン役を与えられていますが、計算力が高く、犀川助教授の助手を見事に務めています。

もうひとり忘れてはならないのが、犀川助教授をして“天才”と言わしめる真の天才、真賀田四季博士です。あらすじにもありますが、彼女は本作、そしてこれから始まる全10作からなる本シリーズのキーパーソンであり、彼女が犀川助教授たちに対するシリーズを通しての“悪役”を演じます。

本シリーズ、というか著者の特徴かもしれませんが、工学部助教授という肩書きの頃に書かれた作品で、非常に“理系な”小説になっています。工学的なウンチクや、“ロジカル”なトリックがストーリーに組み込まれ、読む方は疲れるかもしれません。

あまり本を読みなれていない人がいきなり読むには敷居が高すぎる作品かもしれません。(先に東川篤哉を薦めます。)

1996年に初版が発行されたものですが、今あらためて読んでみると、音声認識や掌紋認証システムなど、オートメーション化された研究所やヴァーチャルリアリティ空間での対話を表現しているところに驚きを禁じえません。ドラマ化が今現在になった理由もこのあたりにあるのかもしれませんね。

先ほどからちょくちょくプッシュしているユーモア・ミステリとは打って変わってガチガチの本格ミステリィ。ドラマを見て面白いと思ったならば、この『すべてがFになる』を手にとっていただくことをおすすめします。そして、シリーズを通して天才たちの血沸き肉踊る頭脳戦をご堪能いただけたらと思いますね。

なんだか今回は真面目な紹介になってしまって、頭脳が疲れました。

以上、凡人からの紹介でした。

このエントリーをはてなブックマークに追加RSSフィード follow us in feedly